ホームページを開設しました!

Fun Ladies Craft time! February 24th, 2017. From 2 p.m. Cost is 500 yen. limit 10 people. Let's have fun! 

今週金曜日午後2時から「あるもので」楽しいLadies' クラフト・タイムがあります!どうぞきてください!500円です。楽しみに待っています!10人ぶんのために用意しています!

+主の祈りパート3

【マタイ福音書 6:11-12 6:11わたしたちの()ごとの食物(しょくもつ)を、きょうもお(あた)えください。6:12わたしたちに負債(ふさい)のある(もの)をゆるしましたように、わたしたちの負債(ふさい)をもおゆるしください。

 

今日のメッセージは、主の祈りシリーズ第三回です。ここには二つのポイントがあります。それは神の備えと赦しです。

1.   わたしたちの()ごとの食物(しょくもつ)を、きょうもお(あた)えください。

私たちは神の備えを注意深く捉え、感謝しなければなりません。ザイールに遣わされた宣教師のヘレン・ローズベル師は次のように話しています。「私たちの伝道所で、ある母親が早産の赤ん坊を生み落としてすぐに死にました。この赤ん坊を生かすために私たちは即席の保育器を作ろうとしましたが、そこにあった湯たんぽは使い物にならないものでした。そこで、子供たちに、その赤ん坊と彼女の姉のために祈るように頼みました。ある少女が祈りました。『愛する神さま、今日、湯たんぽを送ってください。明日になれば赤ちゃんは死んでしまいますから、それでは遅すぎます。そして愛する主よ、赤ちゃんのお姉ちゃんのために人形をください。そうすれば彼女は淋しくありませんから。』その日の午後になってイギリスから大きな荷物が届きました。それを開けるとき、子供たちは熱心に見つめていました。そして大変驚いたことに、何枚かの服の下に湯たんぽが入っていたのです!お祈りをしてくれた少女は、すぐさま真剣に荷物の奥まで手を差し入れて、叫びました。『神さまが湯たんぽをくれたなら、人形だってくれたに違いないわ!』そして、彼女は正しかったのです!天の父は、この少女の心からの願いを前もってご存じでした。そして、この特定の品々をある女性グループが荷物に入れるように、五か月前に既に取り計られていたのです。」

 

私たちは、神の備えに満足しなかったことがあるでしょうか?もちろん、皆「はい」と答えるはずです。私たちは、食料に有り余るこの豊かな日本に住んでいるのですから!

 

ある父親が夕飯のために祈ったときのことです。アーメンと言った後に、彼は茶碗のご飯が玄米であることに気づきました。そして、そのことで彼は文句を言い始めたのです。彼の息子は父親を訝しげに見つめて言いました。「お父さん、何故文句を言っているの?たった今、神さまに食べ物のことを感謝したばかりじゃないですか。」

 

神さまは私たちの必要をご存じです。
 【マタイ福音書 6:31 6:31だから、(なに)()べようか、(なに)()もうか、あるいは(なに)()ようかと()って(おも)いわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人(いほうじん)(せつ)(もと)めているものである。あなたがたの(てん)(ちち)は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要(ひつよう)であることをご(ぞん)じである。

 

今朝、あなたには何か心配事がありますか?心配というのは、現代社会において大きな問題なのです。メイヨー・クリニック(米国の有名な総合病院)は、ケース全体の統計の80%から85%は、実際的なものであれ、想像的なものであれ精神的なストレスが病気の原因だと言っています。

 

日ごとの食べ物のための祈りは、私たちの神に対する依存を表し、私たちを謙虚に保つものです。
【第一テモテ6:176:17この()()んでいる(もの)たちに、(めい)じなさい。高慢(こうまん)にならず、たよりにならない(とみ)(のぞ)みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての(もの)(ゆた)かに(そな)えて(たの)しませて(くだ)さる(かみ)に、のぞみをおくように、

 

イギリスのピューリタン聖職者トーマス・マントンは言いました。「食べ物の一口ごとに、これは神からの私への贈り物だ、と言うべきであり、毎晩の眠りに対し、これは神の優しさだ、と言うべきです。」

 

神はご自分の民に備えを与えたいと願っておられます。次に挙げるのは、神が人間に対して備えてくださった例のほんの一部です。

荒野において神はイスラエルの民にマナと鶉を備え(出エジプト16)、水を備えられた(出エジプト17)。彼らの服は綻びなかった(申命記8)。エリヤは烏に養われた(第一列王記17)。イエスは5つのパンと2匹の魚で5000人に食べ物を与えられた(ヨハネ福音書6)。

そして、究極のパンはキリストご自身です。
【ヨハネ福音書6:51 6:51わたしは(てん)から(くだ)ってきた()きたパンである。それを()べる(もの)は、いつまでも()きるであろう。わたしが(あた)えるパンは、()(いのち)のために(あた)えるわたしの(にく)である」。

 

2.   わたしたちの負債(ふさい)をもおゆるしください 私たちには霊的な赦しが必要です。

この祈りの中で、私たちの実際的な必要に対する神の備えを思い起こすだけではなく、更に大事なこと、霊的な必要に対する神の備えも思い起こすのです。

 

私たちの一番必要なものが情報であったなら、神は専門家を送ってくださったでしょう。私たちの一番の必要が技術であったなら、神は科学者を送ってくださったでしょう。しかし、私たちの一番の必要は赦しであったので、神は救い主を送ってくださったのです。

 

私たちの人生の中で一番必要なのは赦しです。何故なら、人生の最大の問題は罪だからです。

 

【第一ヨハネ1:91:9もし、わたしたちが自分(じぶん)(つみ)告白(こくはく)するならば、(かみ)真実(しんじつ)(ただ)しいかたであるから、その(つみ)をゆるし、すべての不義(ふぎ)からわたしたちをきよめて(くだ)さる。 

 

3.   わたしたちに負債(ふさい)のある(もの)をゆるしましたように 私たちには他の人を赦す必要があります。

神の赦しを求めることが重要であるのと同じように、私たちは他の人に対して赦しを差し出す必要もあるのです。イエスは、この祈りを弟子たちに教えられた直後、次のようにはっきり言われました。

【マタイ福音書6:146:14もしも、あなたがたが、人々(ひとびと)のあやまちをゆるすならば、あなたがたの(てん)(ちち)も、あなたがたをゆるして(くだ)さるであろう。 6:15もし(ひと)をゆるさないならば、あなたがたの(ちち)も、あなたがたのあやまちをゆるして(くだ)さらないであろう。

 

赦さないなら、その代償は何でしょうか。

それは、神との関係に影響を及ぼします。
【第一ヨハネ4:20 4:20(かみ)(あい)している」と()いながら兄弟(きょうだい)(にく)(もの)は、(いつわ)(もの)である。(げん)()ている兄弟(きょうだい)(あい)さない(もの)は、()()えない(かみ)(あい)することはできない。

それは、お互いの関係に影響を及ぼします。
へブル人への手紙12:15 12:15()をつけて、(かみ)(めぐ)みからもれることがないように、また、(にが)()がはえ()て、あなたがたを(なや)まし、それによって(おお)くの(ひと)(けが)されることのないようにしなさい。 

それは、私たちの感情と肉体に影響を及ぼします。赦さないことは罪です。そして人生の中の罪は常にある結果を生んでしまうのです。赦さない心は、あらゆる種類の感情的な問題と肉体的な問題に繋がっていきます。
【詩編32:132:1そのとががゆるされ、その(つみ)がおおい()される(もの)はさいわいである。32:2(しゅ)によって不義(ふぎ)()わされず、その(れい)(いつわ)りのない(ひと)はさいわいである。32:3わたしが自分(じぶん)(つみ)()いあらわさなかった(とき)は、ひねもす(くる)しみうめいたので、わたしの(ほね)はふるび(おとろ)えた。32:4あなたのみ()(ひる)(よる)も、わたしの(うえ)(おも)かったからである。わたしの(ちから)は、(なつ)のひでりによってかれるように、かれ()てた。〔セラ

 

 

クリスチャンとして、私たちは人生の全ての必要に対する備えを求めて、日々、謙虚に神のところに来なくてはなりません。そして、私たちと神の関係、私たちと人の関係を確かに健全なものにしなければなりません

主の祈りパート2

【マタイ福音書6:106:10御国(みくに)がきますように。みこころが(てん)(おこな)われるとおり、()にも(おこな)われますように。

 

この聖句は二つのことを語っています。神の御国と、御心のことです。この二つは関連し合っていますが、それぞれ違う特徴があります。

ジェームス・アーウィンは月面を歩いた数少ない者たちの一人ですが、月の表面に立って地球を眺めたとき生涯で初めて祈りました。彼は国々の紛争を思い、貧困、飢え、蔓延する不正を思い、そしてひそかに考えました。「人類が月の上を歩くことより大切なのは、神が地上を歩かれたということだ。」

1.   御国(みくに)がきますように。

聖書の中の「御国」には、ギリシャ語の「basiliea」という言葉が使われています。ストロング・コンコーダンス(聖書語句辞典)によると、「basiliea」は「王権、王政、主権、統治」を意味し、実際の王国という言葉とは区別されていて、むしろ王国を支配する権利や権威を意味します。そして、「御国」の二つ目の意味は、支配や統治が行使されている領土や領域のことです。

ですから、御国というのは、神の力の行使と主権の行使に言及されたものなのです。それ故に、御国とは神が支配し統治している場所のことです。

イエスは、自分の生活を神が支配してくださるように祈るべきだと私たちに教えられました。

私たちが「御国が来ますように」と言うとき、神がこの世を支配するだけでなく、私たちの生活をも支配してくださるよう求めているのです。

ですから、私たちの人生において神を主とする気がないなら、この言葉を正直に祈っていることにはなりません。

 

あなたは本当に御国を望んでいますか?

御国のことを語るとき、私たちは王のことを考えなければなりません。神は主として、また王としてあなたの世界に入って来られるのです。

私たちは、自分の人生の主となってくださるよう神に求めなければなりません。私の仕事場に来てください。私の結婚の中に来てください。私の家族の主となってください。私の心の羊飼い(指導者)になってください。あなたは神に、自分の生活の全てを占領してくれるように求めていることになるのです。その準備は出来ていますか?

 

悔い改めの必要(神の国が近づいたからです)を説くことで、イエスは御国の重要性を示されました。
【マルコ福音書1:1515(とき)()ちた、(かみ)(くに)(ちか)づいた。()(あらた)めて福音(ふくいん)(しん)ぜよ」。

 

では、御国とは何でしょうか?

イエスは、パリサイ人から御国がいつ来るのか質問され、次のように答えました。【ルカ福音書17:20-21 17:20(かみ)(くに)はいつ()るのかと、パリサイ(びと)(たず)ねたので、イエスは(こた)えて()われた、「(かみ)(くに)は、()られるかたちで()るものではない。17:21また『()よ、ここにある』『あそこにある』などとも()えない。(かみ)(くに)は、(じつ)にあなたがたのただ(なか)にあるのだ」。

イエスは、自分が御国を具現化しているものだと言われたのです。そして、ご自身の犠牲を通して、その死と蘇りを通して、主を信じる者の人生の中のサタンの支配と王国を打ち破られます。

「御国」ということを通して私たちが学ぶのは、御国は既に来ただけではなく、今ここにあり、そしてまた再び来るのだということです。

つまり、御国はイエスがおられるところにあるのです。

御国は、また今このとき私たちと共にあります。イエスは言われました。【マタイ福音書18:2018:20ふたりまたは三(にん)が、わたしの()によって(あつ)まっている(ところ)には、わたしもその(なか)にいるのである」。

イエスは、今私たちの只中におられるのですから、御国もここにあるのです。

そして、御国は再び来ます!イエスが終わりの時に戻られ、1000年間の神の御国(キリストの千年王国)を建てられるときに。

 

イエスは私たちが御国に住むことを望んでおられます。

【マタイ福音書 6:33 6:33まず(かみ)(くに)(かみ)()とを(もと)めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて()えて(あた)えられるであろう。

御国を求めることはイエスを求めることであり、主を私たちの第一とするということなのです。

 

2.   みこころが((てん)(おこな)われるとおり、地にも)行われますように。

昔々あるところで、ある男が狩りに行きました。彼は熊を獲る狩人でした。彼は山に登り、熊に遭遇しました。熊は男を追いかけ、そこから逃げることは不可能でした。そこで、今までとりわけ信心深くはなかったこの男は祈りました。「神よ、この熊をクリスチャンにしてくださるなら、あなたの御心がなさることは何でも受け入れます。」男から3フィート足らずのところで熊は立ち止まり天を見上げました。そして、ひざまずいて大声で祈りました。「主よ、この美味しい食べ物のために感謝します。アーメン。」

 

たとえ自分が望まないところに行くとしても、私たちは主が導いてくださるよう求めます。何故なら、主の道はより良いものであることを知っているからです。【イザヤ書55:8-9 55:8わが(おも)いは、あなたがたの(おも)いとは(こと)なり、わが(みち)は、あなたがたの(みち)とは(こと)なっていると(しゅ)()われる。55:9(てん)()よりも(たか)いように、わが(みち)は、あなたがたの(みち)よりも(たか)く、わが(おも)いは、あなたがたの(おも)いよりも(たか)い。

 

ゲッセマネのイエスは私たちのお手本でした。 【マタイ福音書26:3926:39そして(すこ)(すす)んで()き、うつぶしになり、(いの)って()われた、「わが(ちち)よ、もしできることでしたらどうか、この(さかずき)をわたしから()()らせてください。しかし、わたしの(おも)いのままにではなく、みこころのままになさって(くだ)さい」。

 

天において、天使たちは神の命令(み言葉の声)を行う用意をして待っています。【詩編103:20103:20(しゅ)使(つかい)たちよ、そのみ言葉(ことば)(こえ)()いて、これを(おこな)勇士(ゆうし)たちよ、(しゅ)をほめまつれ。

宇宙において、星と惑星は神の御心のままに動きます。星は、博士たちにイエスのおられるところを指し示しました。 マタイ福音書2:9 2:9(かれ)らは(おう)()うことを()いて()かけると、()よ、(かれ)らが東方(とうほう)()(ほし)が、(かれ)らより(さき)(すす)んで、(おさ)()のいる(ところ)まで()き、その(うえ)にとどまった。

被造物においても、動物たちが主に従うのを私たちは知っています。民数記22章でロバはバラムに口をききました。ヨナ書1章17節では鯨がヨナを飲み込みました。列王記上17章ではカラスがエリヤに食べ物を運びました。紅海は割れ、岩は水を吹き出し、波はイエスに従いました。

 

あらゆるものは神に従うのです。人間以外は。

従うことが、私たちの祈りの土台でなければなりません。私たちが祈るとき、神が自分の人生を通して働いてくださるよう求めているのです - 神の目的にかなうために、神ご自身のやり方でご自身の時に働いてくださるように。私たちに神の計画を合わせてくださるように求めるのではありません。神の計画に私たちを合わせてくださるよう求めるのです。

 

ある男が灯台守になりました。灯台の灯を灯し続けるために、 彼は一月に一度新しい油を受け取りました。そして、海岸沿いの彼の所には沢山の訪問者がありました。家族を暖かく暮らさせるために油が必要な村の女。ランプ用に油を分けてもらいに来た農夫。車輪の潤滑油が少し欲しい男。彼らの要求は正当なものに思えたので、灯台守はその要望に応えようと努めたのです。一月も経たないうちに、彼の油は切れ、灯は消えました。その結果、幾つかの船が衝突し命が失われました。警察が調査したとき、この男はとても後悔していました。彼の申し開きを聞いた後、警察は言いました。「あなたに油が与えられていたのは、ただ一つの目的の為だけです。灯りを灯し続けることです!」

 

私たちの人生の優先順位は、神の御心に土台を置くべきなのです。それ以外にはありません!

 

あなたの人生で一番大事なのは何ですか?神の御心ですか?それとも自分自身ですか?この祈り(御心が行われますように)には、重要な一つの目的があります。神の御心を願い求めること、です。そして御心にあって私たちが祈るとき、主は私たちに耳を傾け答えようと約束しておられます。 【第一ヨハネ5:14-15 5:14わたしたちが(かみ)(たい)していだいている確信(かくしん)は、こうである。すなわち、わたしたちが何事(なにごと)でも(かみ)御旨(みむね)(したが)って(ねが)(もと)めるなら、(かみ)はそれを()きいれて(くだ)さるということである。 5:15そして、わたしたちが(ねが)(もと)めることは、なんでも()きいれて(くだ)さるとわかれば、(かみ)(ねが)(もと)めたことはすでにかなえられたことを、()るのである

 

もし神の御心があなたの最優先事項になるなら、あなたの人生はどんなに変わることでしょうか?

主の祈りパート1

【マタイ福音書6:96:9だから、あなたがたはこう(いの)りなさい、(てん)にいますわれらの(ちち)よ、御名(みな)があがめられますように。


ある日、トムとジョーは一諸に歩いていました。トムは、相棒であるジョーを挑発して言いました。「君がそんなに信心深いなら、主の祈りを引用してみてくれよ。君が引用出来ないほうに僕は10ドル賭けるよ。」ジョーは答えて言いました。「主よ、私は今眠ります。私の魂を主の御手に委ねます。目覚める前に、もし私の命が終わるなら、主よ、私の魂をお委ねします。(訳者注:これは、子供が眠りにつく前に祈る「子供の祈り」として有名です)トムは財布を引っ張り出して10ドル札を抜き取り、がっかりしてボソボソと言いました。「君にそれが出来るとは思わなかったよ。」

今日は「主の祈り」として知られている祈りの最初の部分を見てみたいと思います。皆さんは、この祈りをよくご存じでしょう。ある教会では、集まるときにはいつでもこの祈りを祈りますし、聖歌の本の中にもこれが書かれています。学びを始める前に、私自身の視点から幾つかお話ししたいと思います。

これは、「だから、あなたがたはこう(いの)りなさい 」という言葉で始まっています。イエスは、「これを祈るべきである」と言われたのではないことに注意してください。イエスは、むしろ「このように」と言われたのです。主の祈りは、私たちがどのように祈るか、というお手本なのです。それは何度も何度も繰り返して口に出せばよい、というような魔法の言葉ではありません。もしそうなら、原本に書かれていたギリシャ語でこの祈りの言葉を言うべきではありませんか?或いは、イエスが多分使っておられたアラム語で祈りの言葉を言うべきではないでしょうか?

イエスさまは、次のように言われました。【マタイ福音書6:7 6:7また、(いの)場合(ばあい)異邦人(いほうじん)のように、くどくどと(いの)るな。(かれ)らは言葉(ことば)かずが(おお)ければ、()きいれられるものと(おも)っている。

この聖句にあるように、私はキリストが「主の祈り」で示しておられるのは祈り方だと信じています。私が信じることを皆さんが信じなくても、もちろん構いません。皆さんが何も祈らないよりも、何であれ祈ってくださるほうが良いからです。しかし、皆さんが主の祈りを一語一語その通りに祈ろうと思うなら、心から祈ってください。そして、その言葉を意図しながら祈ってください。自分が言っていることを考えながら祈り、理解しながら祈ってください。

1.   Our Father (天にいます)われらの(ちち)よ (訳者注:英語においては“Our Father in heavenわれらの父よ、天にいます”となります)

これは私たちと神の関係を表しています。神は父であり、私たちは神の子供たちです。私たちは家族ですから、他の者にはない権利と特権を持っています。例えば、私は自由に安倍首相に会いに行くことは出来ません。警備の警官に止められるからです。しかし、父である神のところには、私たちは自由に行くことが出来るのです。

新約聖書には、壁、或いは幕が裂けたことが、少なくとも二回記述されています。

一つ目は、キリストが十字架で死なれ幕が裂けたときです。
【マタイ福音書27:50-51 27:50イエスはもう一度(いちど)大声(おおごえ)(さけ)んで、ついに(いき)をひきとられた。 27:51すると()よ、神殿(しんでん)(まく)(うえ)から(した)まで真二(まっぷた)つに()けた。また地震(じしん)があり、(いわ)()け、

これは、大祭司だけに限定されていた神に近づくという行為が、今、全ての者に許されたことを示すものです。
【へブル人への手紙 9:7-8 9:7幕屋(まくや)(おく)には大祭司(だいさいし)(ねん)に一()だけはいるのであり、しかも自分(じぶん)自身(じしん)(たみ)とのあやまちのためにささげる()をたずさえないで()くことはない。 9:8それによって聖霊(せいれい)は、前方(ぜんぽう)幕屋(まくや)存在(そんざい)している(かぎ)り、聖所(せいじょ)にはいる(みち)はまだ(ひら)かれていないことを、(あき)らかに(しめ)している。
【へブル人への手紙10:19-2210:19兄弟(きょうだい)たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの()によって、はばかることなく聖所(せいじょ)にはいることができ、 10:20(かれ)肉体(にくたい)なる(まく)をとおり、わたしたちのために(ひら)いて(くだ)さった(あたら)しい()きた(みち)をとおって、はいって()くことができるのであり、 10:21さらに、(かみ)(いえ)(おさ)める(おお)いなる祭司(さいし)があるのだから、 10:22(こころ)はすすがれて良心(りょうしん)のとがめを()り、からだは(きよ)(みず)(あら)われ、まごころをもって信仰(しんこう)確信(かくしん)()たされつつ、みまえに(ちか)づこうではないか。

二つ目は、異邦人とユダヤ人の隔たりの壁が取り除かれたときです。
【エペソ人への手紙2:11-18 2:11だから、記憶(きおく)しておきなさい。あなたがたは以前(いぜん)には、(にく)によれば異邦人(いほうじん)であって、()(おこな)った(にく)割礼(かつれい)ある(もの)(しょう)せられる人々(ひとびと)からは、()割礼(かつれい)(もの)()ばれており、 2:12またその当時(とうじ)は、キリストを()らず、イスラエルの国籍(こくせき)がなく、約束(やくそく)されたいろいろの契約(けいやく)(えん)がなく、この()(なか)希望(きぼう)もなく(かみ)もない(もの)であった。 2:13ところが、あなたがたは、このように以前(いぜん)(とお)(はな)れていたが、(いま)ではキリスト・イエスにあって、キリストの()によって(ちか)いものとなったのである。 2:14キリストはわたしたちの平和(へいわ)であって、二つのものを一つにし、敵意(てきい)という(へだ)ての中垣(なかがき)()(のぞ)き、ご自分(じぶん)(にく)によって、 2:15数々(かずかず)規定(きてい)から()っている(いまし)めの律法(りっぽう)廃棄(はいき)したのである。それは、(かれ)にあって、二つのものをひとりの(あたら)しい(ひと)(つく)りかえて平和(へいわ)をきたらせ、 2:16十字架(じゅうじか)によって、二つのものを一つのからだとして(かみ)和解(わかい)させ、敵意(てきい)十字架(じゅうじか)にかけて(ほろ)ぼしてしまったのである。 2:17それから(かれ)は、こられた(うえ)で、(とお)(はな)れているあなたがたに平和(へいわ)()(つた)え、また(ちか)くにいる(もの)たちにも平和(へいわ)()(つた)えられたのである。 2:18というのは、(かれ)によって、わたしたち両方(りょうほう)(もの)が一つの御霊(みたま)(なか)にあって、(ちち)のみもとに(ちか)づくことができるからである。 

 

2.   In Heaven天にいます(われらの父よ)

これは二つのことを定めています。神のおられる場所と、私たちが行きたいと願う場所です。

〇神のおられる場所

【詩編11:411:4(しゅ)はその(せい)なる(みや)にいまし、(しゅ)のみくらは(てん)にあり、その()(ひと)()らをみそなわし、そのまぶたは(ひと)()らを調(しら)べられる。

〇私たちが行きたいと願う場所
【ヨハネ福音書14:2-314:2わたしの(ちち)(いえ)には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう()っておいたであろう。あなたがたのために、場所(ばしょ)用意(ようい)しに()くのだから。 14:3そして、()って、場所(ばしょ)用意(ようい)ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに(むか)えよう。わたしのおる(ところ)にあなたがたもおらせるためである。

 

3.   Hallowed be your name  御名(みな)があがめられますように

この英語のHallowedというのは、神聖なるという意味で、言い換えると、清められる、聖別される、あがめる、聖なる、浄化するということで、ギリシャ語のHagiazoにあたります。そして、このように祈るとき、この時点で私たちの祈りは礼拝の行為になります。

ある男の妻がイギリスの コロンビア大学のピアノ専攻学生であったときのことです。彼らはまだ結婚したばかりで、ある日ピアノを買いに出かけました。売り場の女店員は、迷わず彼らを初心者用の売り場に連れて行きました。「彼女はまさに正しく私たちを判断したのですよ。」と夫は言いました。「私たちは二枚の5セント銅貨も持っていなかったのです。そこにある一番安い楽器を手に入れるためにお金を借りに行かなくてはならなかったのですから。」しかし、全てが変わりました。この買い手の指導者である教授 世界的な名声を持つ教授が会話に加わったからです。女店員は恐慌を来しました。「こういうピアノじゃありませんよ!」彼女は大声で叫び、この二人を安物売り場からピカピカのスタインウェイの置いてあるプライベートショールームに連れて行きました。「申し訳ありません。」と女店員は繰り返し詫びを言いました。彼女が彼の学生の一人に粗悪な楽器を見せたことをこの高名な教師が知ったらと考え、怯えていたのです。そして、元のピアノ売り場に連れ戻してくれるようにどんなに頼んでも、彼らは彼女を説き伏せることは出来なかったのです。一度、最高位の者が来たなら、最高のものだけが供されるのです。

古代のユダヤの聖書記者たちが「神の名」を聖書に記した後には、その筆を折って捨てました。何故なら、それは聖なる言葉なので、その筆で他のいかなる言葉も書くことが出来なかったからです。そして、一度神の名を書いたなら、その言葉を消すことも出来ませんでした。神の名前が書かれたページを捨てることは出来ず、儀式的な方法で焼かれるか埋めるかする必要があったのです。(神の名はそれほど神聖なものでありました。)

テトラグラマトン・ヤハウェー(4文字のシンボルyhwhヤハウェ 神の名)という言葉をユダヤ人が口にすることはなく、むしろ彼らはハシェム「御名」と言います。マソラ本文(ユダヤ教のヘブライ語聖書のテキスト)の中では、母音を示すための記号は、二つの言葉、Adonai(主)Elohim(神)に調和しています。

そして、現代であってもユダヤ人は英語で神GodG-dと書きます。

【出エジプト記 20:7 20:7あなたは、あなたの(かみ)(しゅ)()を、みだりに(とな)えてはならない。(しゅ)は、み()をみだりに(とな)えるものを、(ばっ)しないでは()かないであろう。

あなたは、あなたの神、主の名を軽々しく掲げてはならないのです。

ヤコブは、例を挙げています。【ヤコブ5:12 5:12さて、わたしの兄弟(きょうだい)たちよ。(なに)はともあれ、(ちか)いをしてはならない。(てん)をさしても、()をさしても、あるいは、そのほかのどんな(ちか)いによっても、いっさい(ちか)ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「(いな)」を「(いな)」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを()けることになる.

神の名とは神の性質なのです。私たちが神の名を使うとき、それは神の性質と一致していなければなりません。神の名がかかわるとき、私たちがしているのは聖なることですか?愛すべきことですか?優しいことですか?正しいことですか?

シメオン・ベン・シェタフについての話があります。彼はイエスより100年ほど前に生きていたユダヤ人の賢者です。彼の弟子たちは、この貧しい教師のためにアラブの金持ちの商人からロバを買いました。それは、彼らの指導者の日々の重荷を減らすためでした。彼らがロバのたてがみを梳かしたとき、その高価な積み荷の一つから宝石が転がり落ちてきました。弟子たちは、教師の新しい財産に大喜びしました。しかし、シェタフはそれを受け取ることを拒み、弟子たちにアラブ人を探して宝石を返すように命じました。弟子たちが商人を見つけたとき、彼は貴重品を取り戻したことにひどく驚いて、宣言しました。「シメオン・ベン・シェタフに神の祝福あれ!」と。

イエスは言われました。【マタイ福音書5:16 5:16そのように、あなたがたの(ひかり)人々(ひとびと)(まえ)(かがや)かし、そして、人々(ひとびと)があなたがたのよいおこないを()て、(てん)にいますあなたがたの(ちち)をあがめるようにしなさい。

 

ですから、私たちが主の祈りを祈るなら、また祈るとき次の3つの点を意識してください。

1.   神と私たちの関係:神は私たちの父であり、私たちは神の子供たちであること。

2.   神のおられる場所と、私たちが行きたい場所のこと。

 

3.   祈るときも、何かをするときも、私たちは神に誉を帰しているか、ということ。 

Just a quick note about a couple of things:

The true date on this blog should read September 2nd, 2015. I haven't figured out how to add a new blog so I added to the old one. I believe that all the links now work! We had our first ever outreach to Tsukioka last week. September will emphasize prayer for all the work that has happened during the summer and for God's leading going forward. Last week's sermon dealt with the annointing of Christ for burial. The main points and questions asked were: Why did Mary have the Nard? Did she understand it's purpose before Christ's explanation? What we learned was that God has a plan for each of us and his plans always have a perfect place, a perfect timing, and perfect provision.

 

新潟県新発田市にある命のパンチャーチです。

2015年7月新しいホームページを作りました。

ぜひご覧ください。

 

ーお詫びー

「お問い合わせフォーム」からのメッセージが一時届かない状況にありました。

その間にお問い合わせくださった方、申し訳ありませんでした。

現在は使用できます。

 

何か疑問・質問等ございましたらお気軽にお問い合わせください。

 

 

命のパンチャーチ