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9月8日(金)An End of Summer Gospel Time--上越市民プラザであいましょう!一緒にゴスペルのうたをうたいましょうか? 

9月23日(土)午前10時~Ladies,一緒にクリスマス・プロジェクトをはじめましょう! みなさんのために楽しいです!どうぞ来てください!

 

+主の祈りパート3

【マタイ福音書 6:11-12 6:11わたしたちのごとの食物しょくもつを、きょうもおあたえください。6:12わたしたちに負債ふさいのあるものをゆるしましたように、わたしたちの負債ふさいをもおゆるしください。

 

今日のメッセージは、主の祈りシリーズ第三回です。ここには二つのポイントがあります。それは神の備えと赦しです。

1.   わたしたちのごとの食物しょくもつを、きょうもおあたえください。

私たちは神の備えを注意深く捉え、感謝しなければなりません。ザイールに遣わされた宣教師のヘレン・ローズベル師は次のように話しています。「私たちの伝道所で、ある母親が早産の赤ん坊を生み落としてすぐに死にました。この赤ん坊を生かすために私たちは即席の保育器を作ろうとしましたが、そこにあった湯たんぽは使い物にならないものでした。そこで、子供たちに、その赤ん坊と彼女の姉のために祈るように頼みました。ある少女が祈りました。『愛する神さま、今日、湯たんぽを送ってください。明日になれば赤ちゃんは死んでしまいますから、それでは遅すぎます。そして愛する主よ、赤ちゃんのお姉ちゃんのために人形をください。そうすれば彼女は淋しくありませんから。』その日の午後になってイギリスから大きな荷物が届きました。それを開けるとき、子供たちは熱心に見つめていました。そして大変驚いたことに、何枚かの服の下に湯たんぽが入っていたのです!お祈りをしてくれた少女は、すぐさま真剣に荷物の奥まで手を差し入れて、叫びました。『神さまが湯たんぽをくれたなら、人形だってくれたに違いないわ!』そして、彼女は正しかったのです!天の父は、この少女の心からの願いを前もってご存じでした。そして、この特定の品々をある女性グループが荷物に入れるように、五か月前に既に取り計られていたのです。」

 

私たちは、神の備えに満足しなかったことがあるでしょうか?もちろん、皆「はい」と答えるはずです。私たちは、食料に有り余るこの豊かな日本に住んでいるのですから!

 

ある父親が夕飯のために祈ったときのことです。アーメンと言った後に、彼は茶碗のご飯が玄米であることに気づきました。そして、そのことで彼は文句を言い始めたのです。彼の息子は父親を訝しげに見つめて言いました。「お父さん、何故文句を言っているの?たった今、神さまに食べ物のことを感謝したばかりじゃないですか。」

 

神さまは私たちの必要をご存じです。
 【マタイ福音書 6:31 6:31だから、なにべようか、なにもうか、あるいはなにようかとっておもいわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人いほうじんせつもとめているものである。あなたがたのてんちちは、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要ひつようであることをごぞんじである。

 

今朝、あなたには何か心配事がありますか?心配というのは、現代社会において大きな問題なのです。メイヨー・クリニック(米国の有名な総合病院)は、ケース全体の統計の80%から85%は、実際的なものであれ、想像的なものであれ精神的なストレスが病気の原因だと言っています。

 

日ごとの食べ物のための祈りは、私たちの神に対する依存を表し、私たちを謙虚に保つものです。
【第一テモテ6:176:17このんでいるものたちに、めいじなさい。高慢こうまんにならず、たよりにならないとみのぞみをおかず、むしろ、わたしたちにすべてのものゆたかにそなえてたのしませてくださるかみに、のぞみをおくように、

 

イギリスのピューリタン聖職者トーマス・マントンは言いました。「食べ物の一口ごとに、これは神からの私への贈り物だ、と言うべきであり、毎晩の眠りに対し、これは神の優しさだ、と言うべきです。」

 

神はご自分の民に備えを与えたいと願っておられます。次に挙げるのは、神が人間に対して備えてくださった例のほんの一部です。

荒野において神はイスラエルの民にマナと鶉を備え(出エジプト16)、水を備えられた(出エジプト17)。彼らの服は綻びなかった(申命記8)。エリヤは烏に養われた(第一列王記17)。イエスは5つのパンと2匹の魚で5000人に食べ物を与えられた(ヨハネ福音書6)。

そして、究極のパンはキリストご自身です。
【ヨハネ福音書6:51 6:51わたしはてんからくだってきたきたパンである。それをべるものは、いつまでもきるであろう。わたしがあたえるパンは、いのちのためにあたえるわたしのにくである」。

 

2.   わたしたちの負債ふさいをもおゆるしください  私たちには霊的な赦しが必要です。

この祈りの中で、私たちの実際的な必要に対する神の備えを思い起こすだけではなく、更に大事なこと、霊的な必要に対する神の備えも思い起こすのです。

 

私たちの一番必要なものが情報であったなら、神は専門家を送ってくださったでしょう。私たちの一番の必要が技術であったなら、神は科学者を送ってくださったでしょう。しかし、私たちの一番の必要は赦しであったので、神は救い主を送ってくださったのです。

 

私たちの人生の中で一番必要なのは赦しです。何故なら、人生の最大の問題は罪だからです。

 

【第一ヨハネ1:91:9もし、わたしたちが自分じぶんつみ告白こくはくするならば、かみ真実しんじつただしいかたであるから、そのつみをゆるし、すべての不義ふぎからわたしたちをきよめてくださる。 

 

3.   わたしたちに負債ふさいのあるものをゆるしましたように  私たちには他の人を赦す必要があります。

神の赦しを求めることが重要であるのと同じように、私たちは他の人に対して赦しを差し出す必要もあるのです。イエスは、この祈りを弟子たちに教えられた直後、次のようにはっきり言われました。

【マタイ福音書6:146:14もしも、あなたがたが、人々ひとびとのあやまちをゆるすならば、あなたがたのてんちちも、あなたがたをゆるしてくださるであろう。 6:15もしひとをゆるさないならば、あなたがたのちちも、あなたがたのあやまちをゆるしてくださらないであろう。

 

赦さないなら、その代償は何でしょうか。

それは、神との関係に影響を及ぼします。
【第一ヨハネ4:20 4:20かみあいしている」といながら兄弟きょうだいにくものは、いつわものである。げんている兄弟きょうだいあいさないものは、えないかみあいすることはできない。

それは、お互いの関係に影響を及ぼします。
 へブル人への手紙12:15 12:15をつけて、かみめぐみからもれることがないように、また、にががはえて、あなたがたをなやまし、それによっておおくのひとけがされることのないようにしなさい。 

それは、私たちの感情と肉体に影響を及ぼします。赦さないことは罪です。そして人生の中の罪は常にある結果を生んでしまうのです。赦さない心は、あらゆる種類の感情的な問題と肉体的な問題に繋がっていきます。
【詩編32:132:1そのとががゆるされ、そのつみがおおいされるものはさいわいである。32:2しゅによって不義ふぎわされず、そのれいいつわりのないひとはさいわいである。32:3わたしが自分じぶんつみいあらわさなかったときは、ひねもすくるしみうめいたので、わたしのほねはふるびおとろえた。32:4あなたのみひるよるも、わたしのうえおもかったからである。わたしのちからは、なつのひでりによってかれるように、かれてた。〔セラ

 

 

クリスチャンとして、私たちは人生の全ての必要に対する備えを求めて、日々、謙虚に神のところに来なくてはなりません。そして、私たちと神の関係、私たちと人の関係を確かに健全なものにしなければなりません

主の祈りパート2

【マタイ福音書6:106:10御国みくにがきますように。みこころがてんおこなわれるとおり、にもおこなわれますように。

 

この聖句は二つのことを語っています。神の御国と、御心のことです。この二つは関連し合っていますが、それぞれ違う特徴があります。

ジェームス・アーウィンは月面を歩いた数少ない者たちの一人ですが、月の表面に立って地球を眺めたとき生涯で初めて祈りました。彼は国々の紛争を思い、貧困、飢え、蔓延する不正を思い、そしてひそかに考えました。「人類が月の上を歩くことより大切なのは、神が地上を歩かれたということだ。」

1.   御国みくにがきますように。

聖書の中の「御国」には、ギリシャ語の「basiliea」という言葉が使われています。ストロング・コンコーダンス(聖書語句辞典)によると、「basiliea」は「王権、王政、主権、統治」を意味し、実際の王国という言葉とは区別されていて、むしろ王国を支配する権利や権威を意味します。そして、「御国」の二つ目の意味は、支配や統治が行使されている領土や領域のことです。

ですから、御国というのは、神の力の行使と主権の行使に言及されたものなのです。それ故に、御国とは神が支配し統治している場所のことです。

イエスは、自分の生活を神が支配してくださるように祈るべきだと私たちに教えられました。

私たちが「御国が来ますように」と言うとき、神がこの世を支配するだけでなく、私たちの生活をも支配してくださるよう求めているのです。

ですから、私たちの人生において神を主とする気がないなら、この言葉を正直に祈っていることにはなりません。

 

あなたは本当に御国を望んでいますか?

御国のことを語るとき、私たちは王のことを考えなければなりません。神は主として、また王としてあなたの世界に入って来られるのです。

私たちは、自分の人生の主となってくださるよう神に求めなければなりません。私の仕事場に来てください。私の結婚の中に来てください。私の家族の主となってください。私の心の羊飼い(指導者)になってください。あなたは神に、自分の生活の全てを占領してくれるように求めていることになるのです。その準備は出来ていますか?

 

悔い改めの必要(神の国が近づいたからです)を説くことで、イエスは御国の重要性を示されました。
【マルコ福音書1:1515ときちた、かみくにちかづいた。あらためて福音ふくいんしんぜよ」。

 

では、御国とは何でしょうか?

イエスは、パリサイ人から御国がいつ来るのか質問され、次のように答えました。【ルカ福音書17:20-21 17:20かみくにはいつるのかと、パリサイびとたずねたので、イエスはこたえてわれた、「かみくには、られるかたちでるものではない。17:21また『よ、ここにある』『あそこにある』などともえない。かみくには、じつにあなたがたのただなかにあるのだ」。

イエスは、自分が御国を具現化しているものだと言われたのです。そして、ご自身の犠牲を通して、その死と蘇りを通して、主を信じる者の人生の中のサタンの支配と王国を打ち破られます。

「御国」ということを通して私たちが学ぶのは、御国は既に来ただけではなく、今ここにあり、そしてまた再び来るのだということです。

つまり、御国はイエスがおられるところにあるのです。

御国は、また今このとき私たちと共にあります。イエスは言われました。【マタイ福音書18:2018:20ふたりまたは三にんが、わたしのによってあつまっているところには、わたしもそのなかにいるのである」。

イエスは、今私たちの只中におられるのですから、御国もここにあるのです。

そして、御国は再び来ます!イエスが終わりの時に戻られ、1000年間の神の御国(キリストの千年王国)を建てられるときに。

 

イエスは私たちが御国に住むことを望んでおられます。

【マタイ福音書 6:33 6:33まずかみくにかみとをもとめなさい。そうすれば、これらのものは、すべてえてあたえられるであろう。

御国を求めることはイエスを求めることであり、主を私たちの第一とするということなのです。

 

2.   みこころが(てんおこなわれるとおり、地にも)行われますように。

昔々あるところで、ある男が狩りに行きました。彼は熊を獲る狩人でした。彼は山に登り、熊に遭遇しました。熊は男を追いかけ、そこから逃げることは不可能でした。そこで、今までとりわけ信心深くはなかったこの男は祈りました。「神よ、この熊をクリスチャンにしてくださるなら、あなたの御心がなさることは何でも受け入れます。」男から3フィート足らずのところで熊は立ち止まり天を見上げました。そして、ひざまずいて大声で祈りました。「主よ、この美味しい食べ物のために感謝します。アーメン。」

 

たとえ自分が望まないところに行くとしても、私たちは主が導いてくださるよう求めます。何故なら、主の道はより良いものであることを知っているからです。【イザヤ書55:8-9 55:8わがおもいは、あなたがたのおもいとはことなり、わがみちは、あなたがたのみちとはことなっているとしゅわれる。55:9てんよりもたかいように、わがみちは、あなたがたのみちよりもたかく、わがおもいは、あなたがたのおもいよりもたかい。

 

ゲッセマネのイエスは私たちのお手本でした。 【マタイ福音書26:3926:39そしてすこすすんでき、うつぶしになり、いのってわれた、「わがちちよ、もしできることでしたらどうか、このさかずきをわたしかららせてください。しかし、わたしのおもいのままにではなく、みこころのままになさってください」。

 

天において、天使たちは神の命令(み言葉の声)を行う用意をして待っています。【詩編103:20103:20しゅ使つかいたちよ、そのみ言葉ことばこえいて、これをおこな勇士ゆうしたちよ、しゅをほめまつれ。

宇宙において、星と惑星は神の御心のままに動きます。星は、博士たちにイエスのおられるところを指し示しました。 マタイ福音書2:9 2:9かれらはおううことをいてかけると、よ、かれらが東方とうほうほしが、かれらよりさきすすんで、おさのいるところまでき、そのうえにとどまった。

被造物においても、動物たちが主に従うのを私たちは知っています。民数記22章でロバはバラムに口をききました。ヨナ書1章17節では鯨がヨナを飲み込みました。列王記上17章ではカラスがエリヤに食べ物を運びました。紅海は割れ、岩は水を吹き出し、波はイエスに従いました。

 

あらゆるものは神に従うのです。人間以外は。

従うことが、私たちの祈りの土台でなければなりません。私たちが祈るとき、神が自分の人生を通して働いてくださるよう求めているのです - 神の目的にかなうために、神ご自身のやり方でご自身の時に働いてくださるように。私たちに神の計画を合わせてくださるように求めるのではありません。神の計画に私たちを合わせてくださるよう求めるのです。

 

ある男が灯台守になりました。灯台の灯を灯し続けるために、 彼は一月に一度新しい油を受け取りました。そして、海岸沿いの彼の所には沢山の訪問者がありました。家族を暖かく暮らさせるために油が必要な村の女。ランプ用に油を分けてもらいに来た農夫。車輪の潤滑油が少し欲しい男。彼らの要求は正当なものに思えたので、灯台守はその要望に応えようと努めたのです。一月も経たないうちに、彼の油は切れ、灯は消えました。その結果、幾つかの船が衝突し命が失われました。警察が調査したとき、この男はとても後悔していました。彼の申し開きを聞いた後、警察は言いました。「あなたに油が与えられていたのは、ただ一つの目的の為だけです。灯りを灯し続けることです!」

 

私たちの人生の優先順位は、神の御心に土台を置くべきなのです。それ以外にはありません!

 

あなたの人生で一番大事なのは何ですか?神の御心ですか?それとも自分自身ですか?この祈り(御心が行われますように)には、重要な一つの目的があります。神の御心を願い求めること、です。そして御心にあって私たちが祈るとき、主は私たちに耳を傾け答えようと約束しておられます。 【第一ヨハネ5:14-15 5:14わたしたちがかみたいしていだいている確信かくしんは、こうである。すなわち、わたしたちが何事なにごとでもかみ御旨みむねしたがってねがもとめるなら、かみはそれをきいれてくださるということである。 5:15そして、わたしたちがねがもとめることは、なんでもきいれてくださるとわかれば、かみねがもとめたことはすでにかなえられたことを、るのである

 

もし神の御心があなたの最優先事項になるなら、あなたの人生はどんなに変わることでしょうか?

主の祈りパート1

【マタイ福音書6:96:9だから、あなたがたはこういのりなさい、てんにいますわれらのちちよ、御名みながあがめられますように。


ある日、トムとジョーは一諸に歩いていました。トムは、相棒であるジョーを挑発して言いました。「君がそんなに信心深いなら、主の祈りを引用してみてくれよ。君が引用出来ないほうに僕は10ドル賭けるよ。」ジョーは答えて言いました。「主よ、私は今眠ります。私の魂を主の御手に委ねます。目覚める前に、もし私の命が終わるなら、主よ、私の魂をお委ねします。(訳者注:これは、子供が眠りにつく前に祈る「子供の祈り」として有名です)トムは財布を引っ張り出して10ドル札を抜き取り、がっかりしてボソボソと言いました。「君にそれが出来るとは思わなかったよ。」

今日は「主の祈り」として知られている祈りの最初の部分を見てみたいと思います。皆さんは、この祈りをよくご存じでしょう。ある教会では、集まるときにはいつでもこの祈りを祈りますし、聖歌の本の中にもこれが書かれています。学びを始める前に、私自身の視点から幾つかお話ししたいと思います。

これは、「だから、あなたがたはこういのりなさい 」という言葉で始まっています。イエスは、「これを祈るべきである」と言われたのではないことに注意してください。イエスは、むしろ「このように」と言われたのです。主の祈りは、私たちがどのように祈るか、というお手本なのです。それは何度も何度も繰り返して口に出せばよい、というような魔法の言葉ではありません。もしそうなら、原本に書かれていたギリシャ語でこの祈りの言葉を言うべきではありませんか?或いは、イエスが多分使っておられたアラム語で祈りの言葉を言うべきではないでしょうか?

イエスさまは、次のように言われました。【マタイ福音書6:7 6:7また、いの場合ばあい異邦人いほうじんのように、くどくどといのるな。かれらは言葉ことばかずがおおければ、きいれられるものとおもっている。

この聖句にあるように、私はキリストが「主の祈り」で示しておられるのは祈り方だと信じています。私が信じることを皆さんが信じなくても、もちろん構いません。皆さんが何も祈らないよりも、何であれ祈ってくださるほうが良いからです。しかし、皆さんが主の祈りを一語一語その通りに祈ろうと思うなら、心から祈ってください。そして、その言葉を意図しながら祈ってください。自分が言っていることを考えながら祈り、理解しながら祈ってください。

1.   Our Father (天にいます)われらのちちよ (訳者注:英語においては“Our Father in heavenわれらの父よ、天にいます”となります)

これは私たちと神の関係を表しています。神は父であり、私たちは神の子供たちです。私たちは家族ですから、他の者にはない権利と特権を持っています。例えば、私は自由に安倍首相に会いに行くことは出来ません。警備の警官に止められるからです。しかし、父である神のところには、私たちは自由に行くことが出来るのです。

新約聖書には、壁、或いは幕が裂けたことが、少なくとも二回記述されています。

一つ目は、キリストが十字架で死なれ幕が裂けたときです。
【マタイ福音書27:50-51 27:50イエスはもう一度いちど大声おおごえさけんで、ついにいきをひきとられた。 27:51するとよ、神殿しんでんまくうえからしたまで真二まっぷたつにけた。また地震じしんがあり、いわけ、

これは、大祭司だけに限定されていた神に近づくという行為が、今、全ての者に許されたことを示すものです。
【へブル人への手紙 9:7-8 9:7幕屋まくやおくには大祭司だいさいしねんに一だけはいるのであり、しかも自分じぶん自身じしんたみとのあやまちのためにささげるをたずさえないでくことはない。 9:8それによって聖霊せいれいは、前方ぜんぽう幕屋まくや存在そんざいしているかぎり、聖所せいじょにはいるみちはまだひらかれていないことを、あきらかにしめしている。
【へブル人への手紙10:19-2210:19兄弟きょうだいたちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスのによって、はばかることなく聖所せいじょにはいることができ、 10:20かれ肉体にくたいなるまくをとおり、わたしたちのためにひらいてくださったあたらしいきたみちをとおって、はいってくことができるのであり、 10:21さらに、かみいえおさめるおおいなる祭司さいしがあるのだから、 10:22こころはすすがれて良心りょうしんのとがめをり、からだはきよみずあらわれ、まごころをもって信仰しんこう確信かくしんたされつつ、みまえにちかづこうではないか。

二つ目は、異邦人とユダヤ人の隔たりの壁が取り除かれたときです。
【エペソ人への手紙2:11-18 2:11だから、記憶きおくしておきなさい。あなたがたは以前いぜんには、にくによれば異邦人いほうじんであって、おこなったにく割礼かつれいあるものしょうせられる人々ひとびとからは、割礼かつれいものばれており、 2:12またその当時とうじは、キリストをらず、イスラエルの国籍こくせきがなく、約束やくそくされたいろいろの契約けいやくえんがなく、このなか希望きぼうもなくかみもないものであった。 2:13ところが、あなたがたは、このように以前いぜんとおはなれていたが、いまではキリスト・イエスにあって、キリストのによってちかいものとなったのである。 2:14キリストはわたしたちの平和へいわであって、二つのものを一つにし、敵意てきいというへだての中垣なかがきのぞき、ご自分じぶんにくによって、 2:15数々かずかず規定きていからっているいましめの律法りっぽう廃棄はいきしたのである。それは、かれにあって、二つのものをひとりのあたらしいひとつくりかえて平和へいわをきたらせ、 2:16十字架じゅうじかによって、二つのものを一つのからだとしてかみ和解わかいさせ、敵意てきい十字架じゅうじかにかけてほろぼしてしまったのである。 2:17それからかれは、こられたうえで、とおはなれているあなたがたに平和へいわつたえ、またちかくにいるものたちにも平和へいわつたえられたのである。 2:18というのは、かれによって、わたしたち両方りょうほうものが一つの御霊みたまなかにあって、ちちのみもとにちかづくことができるからである。 

 

2.   In Heaven天にいます(われらの父よ)

これは二つのことを定めています。神のおられる場所と、私たちが行きたいと願う場所です。

〇神のおられる場所

【詩編11:411:4しゅはそのせいなるみやにいまし、しゅのみくらはてんにあり、そのひとらをみそなわし、そのまぶたはひとらを調しらべられる。

〇私たちが行きたいと願う場所
【ヨハネ福音書14:2-314:2わたしのちちいえには、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそうっておいたであろう。あなたがたのために、場所ばしょ用意よういしにくのだから。 14:3そして、って、場所ばしょ用意よういができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところにむかえよう。わたしのおるところにあなたがたもおらせるためである。

 

3.   Hallowed be your name  御名みながあがめられますように

この英語のHallowedというのは、神聖なるという意味で、言い換えると、清められる、聖別される、あがめる、聖なる、浄化するということで、ギリシャ語のHagiazoにあたります。そして、このように祈るとき、この時点で私たちの祈りは礼拝の行為になります。

ある男の妻がイギリスの コロンビア大学のピアノ専攻学生であったときのことです。彼らはまだ結婚したばかりで、ある日ピアノを買いに出かけました。売り場の女店員は、迷わず彼らを初心者用の売り場に連れて行きました。「彼女はまさに正しく私たちを判断したのですよ。」と夫は言いました。「私たちは二枚の5セント銅貨も持っていなかったのです。そこにある一番安い楽器を手に入れるためにお金を借りに行かなくてはならなかったのですから。」しかし、全てが変わりました。この買い手の指導者である教授  世界的な名声を持つ教授が会話に加わったからです。女店員は恐慌を来しました。「こういうピアノじゃありませんよ!」彼女は大声で叫び、この二人を安物売り場からピカピカのスタインウェイの置いてあるプライベートショールームに連れて行きました。「申し訳ありません。」と女店員は繰り返し詫びを言いました。彼女が彼の学生の一人に粗悪な楽器を見せたことをこの高名な教師が知ったらと考え、怯えていたのです。そして、元のピアノ売り場に連れ戻してくれるようにどんなに頼んでも、彼らは彼女を説き伏せることは出来なかったのです。一度、最高位の者が来たなら、最高のものだけが供されるのです。

古代のユダヤの聖書記者たちが「神の名」を聖書に記した後には、その筆を折って捨てました。何故なら、それは聖なる言葉なので、その筆で他のいかなる言葉も書くことが出来なかったからです。そして、一度神の名を書いたなら、その言葉を消すことも出来ませんでした。神の名前が書かれたページを捨てることは出来ず、儀式的な方法で焼かれるか埋めるかする必要があったのです。(神の名はそれほど神聖なものでありました。)

テトラグラマトン・ヤハウェー(4文字のシンボルyhwhヤハウェ  神の名)という言葉をユダヤ人が口にすることはなく、むしろ彼らはハシェム「御名」と言います。マソラ本文(ユダヤ教のヘブライ語聖書のテキスト)の中では、母音を示すための記号は、二つの言葉、Adonai(主)Elohim(神)に調和しています。

そして、現代であってもユダヤ人は英語で神GodG-dと書きます。

【出エジプト記 20:7 20:7あなたは、あなたのかみしゅを、みだりにとなえてはならない。しゅは、みをみだりにとなえるものを、ばっしないではかないであろう。

あなたは、あなたの神、主の名を軽々しく掲げてはならないのです。

ヤコブは、例を挙げています。【ヤコブ5:12 5:12さて、わたしの兄弟きょうだいたちよ。なにはともあれ、ちかいをしてはならない。てんをさしても、をさしても、あるいは、そのほかのどんなちかいによっても、いっさいちかってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「いな」を「いな」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきをけることになる.

神の名とは神の性質なのです。私たちが神の名を使うとき、それは神の性質と一致していなければなりません。神の名がかかわるとき、私たちがしているのは聖なることですか?愛すべきことですか?優しいことですか?正しいことですか?

シメオン・ベン・シェタフについての話があります。彼はイエスより100年ほど前に生きていたユダヤ人の賢者です。彼の弟子たちは、この貧しい教師のためにアラブの金持ちの商人からロバを買いました。それは、彼らの指導者の日々の重荷を減らすためでした。彼らがロバのたてがみを梳かしたとき、その高価な積み荷の一つから宝石が転がり落ちてきました。弟子たちは、教師の新しい財産に大喜びしました。しかし、シェタフはそれを受け取ることを拒み、弟子たちにアラブ人を探して宝石を返すように命じました。弟子たちが商人を見つけたとき、彼は貴重品を取り戻したことにひどく驚いて、宣言しました。「シメオン・ベン・シェタフに神の祝福あれ!」と。

イエスは言われました。【マタイ福音書5:16 5:16そのように、あなたがたのひかり人々ひとびとまえかがやかし、そして、人々ひとびとがあなたがたのよいおこないをて、てんにいますあなたがたのちちをあがめるようにしなさい。

 

ですから、私たちが主の祈りを祈るなら、また祈るとき次の3つの点を意識してください。

1.   神と私たちの関係:神は私たちの父であり、私たちは神の子供たちであること。

2.   神のおられる場所と、私たちが行きたい場所のこと。

 

3.   祈るときも、何かをするときも、私たちは神に誉を帰しているか、ということ。

THE POWER OF JESUS’ BLOOD   イエスの血の力 

今日の聖書箇所: マタイによる福音書 26:27-28

 26:27また(さかずき)()り、感謝(かんしゃ)して(かれ)らに(あた)えて()われた、「みな、この(さかずき)から()め。 26:28これは、(つみ)のゆるしを()させるようにと、(おお)くの(ひと)のために(なが)すわたしの契約(けいやく)()である

Intro: イエスは、最後の晩餐の席に弟子たちを集めました。弟子たちがイエスの周りに集まったとき、イエスは杯を取り上げ、ご自身の血は新しい契約であり、そしてその血は十分なものであると説明されました。4000年間、山羊や雄牛の血は律法を果たすという要求を満たすことがなかった一方、イエスの血はそれだけで十分なものです。「私は律法を廃するためではなく、成就するために来た」と言われたとき、イエスはこのことを話しておられたのです。
【マタイによる福音書】5:17わたしが律法(りっぽう)預言者(よげんしゃ)(はい)するためにきた、と(おも)ってはならない。(はい)するためではなく、成就(じょうじゅ)するためにきたのである

主の一つの無償の愛の行為が、他の犠牲の血が出来なかったことをなし、創造の神と共に新しい契約が成立することになりました。今日は、イエスの血がどのような力を持つのか見ていきましょう。

I.
イエスの血には償う力がある
 【ガラテヤ人への手紙】3:13キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法(りっぽう)ののろいからあがない()して(くだ)さった。聖書(せいしょ)に、「()にかけられる(もの)は、すべてのろわれる」と()いてある

A.
律法は厳格なものでした;人間にとってそれは殆ど呪いのようなものだったのです。すべての律法を守るのに十分に清く、善であり、汚れなく、聖なる者は誰一人いないのです。
B.
律法は、人を縛り付けるものであり、人間のすべての欠陥を現すものでした。
C.
しかし、キリストの血は、罪と死の呪いから私たちを解放しました。

【ローマ人への手紙】 8:15あなたがたは(ふたた)(おそ)れをいだかせる奴隷(どれい)(れい)()けたのではなく、()たる身分(みぶん)(さづ)ける(れい)()けたのである。その(れい)によって、わたしたちは「アバ、(ちち)よ」と()ぶのである
D.
律法は完了するということがありませんでした。
今日は子羊、明日は鳩、来週は山羊、その次は雄牛。
 
それは、民の罪を繰り返し覆い続けなくてはならないもので、決して終了することはなかったのです。
祭司は、イスラエルの民の罪の償いゆえに契約の箱の純金の蓋に血を注ぐため、毎年一度、至聖所に入らなければなりませんでした。
【ペテロの第一の手紙】1:18あなたがたのよく()っているとおり、あなたがたが先祖(せんぞ)伝来(でんらい)空疎(くうそ)生活(せいかつ)からあがない()されたのは、(ぎん)(きん)のような()ちる(もの)によったのではなく、 1:19きずも、しみもない小羊(こひつじ)のようなキリストの(たっと)()によったのである
しかし、キリストの血ゆえに、人が神の臨在から切り離されることはもうないのです。

【へブル人への手紙】10:16「わたしが、それらの()(のち)(かれ)らに(たい)して()てようとする契約(けいやく)はこれであると、(しゅ)()われる。わたしの律法(りっぽう)(かれ)らの(こころ)(あた)え、(かれ)らの(おも)いのうちに()きつけよう」と()い、 10:17さらに、「もはや、(かれ)らの(つみ)(かれ)らの不法(ふほう)とを、(おも)()すことはしない」と()べている。 10:18これらのことに(たい)するゆるしがある以上(いじょう)(つみ)のためのささげ(もの)は、もはやあり()ない。10:19兄弟(きょうだい)たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの()によって、はばかることなく聖所(せいじょ)にはいることができ、


II.
キリストの血には変える力がある。

A.
イエスが願っておられる形に私たちを変えるのは、彼の血なのです。
【へブル人への手紙】9:14永遠(えいえん)聖霊(せいれい)によって、ご自身(じしん)(きず)なき(もの)として(かみ)にささげられたキリストの()は、なおさら、わたしたちの良心(りょうしん)をきよめて()んだわざを()(のぞ)き、()ける(かみ)(つか)える(もの)としないであろうか
B.
殺人者であるサウロは生きる神の教会を破壊しようとしましたが、血の力に出会い、永遠に「キリストの使徒パウロ」に変えられました。

【コリント人への第一の手紙】15:9実際(じっさい)わたしは、(かみ)教会(きょうかい)迫害(はくがい)したのであるから、使徒(しと)たちの(なか)でいちばん(ちい)さい(もの)であって、使徒(しと)()ばれる()うちのない(もの)である
C.
十字架上の盗人はイエスの血の力に出会い、犯罪人からパラダイスに住む聖徒に変えられました。
【コリント人への第二の手紙】5:17だれでもキリストにあるならば、その(ひと)(あたら)しく(つく)られた(もの)である。(ふる)いものは()()った、()よ、すべてが(あたら)しくなったのである。
D.
イエスの血の力は、どのような魂であろうと、罪の性質から離れ神の神聖への願いを持つに至る者に変えることが出来るのです。
【イザヤ書】1:18(しゅ)()われる、さあ、われわれは(たがい)(ろん)じよう。たといあなたがたの(つみ)()のようであっても、(ゆき)のように(しろ)くなるのだ。(くれない)のように(あか)くても、(ひつじ)()のようになるのだ。

III.
イエスの血には命を与える力がある。

A. 
血は命の源です;血管を通して流れる血なしでは、この身体の中で命は終わってしまいます。
B.
私たちは、血なしでは生きることは出来ません。
C.
私たちの霊と魂にキリストの血が適用されないなら、私たちは確実に二度目の死に行ってしまうのです。

  へブル人への手紙】9:22こうして、ほとんどすべての(もの)が、律法(りっぽう)(したが)い、()によってきよめられたのである。()(なが)すことなしには、(つみ)のゆるしはあり()ない。
【ヨハネの第一の手紙】1:7しかし、(かみ)(ひかり)(なか)にいますように、わたしたち(ひかり)(なか)(ある)くならば、わたしたちは(たがい)(まじ)わりをもち、そして、御子(みこ)イエスの()が、すべての(つみ)からわたしたちをきよめるのである。
【黙示録】21:8しかし、おくびょうな(もの)(しん)じない(もの)()むべき(もの)人殺(ひとごろ)し、姦淫(かんいん)(おこな)(もの)、まじないをする(もの)偶像(ぐうぞう)(おが)(もの)、すべて(いつわ)りを()(もの)には、()硫黄(いおう)()えている(いけ)が、(かれ)らの()くべき(むく)いである。これが(だい)二の()である」。
D. 
豊かな命は、キリストの血の力の中にだけ見出すことが出来ます。

 

ヨハネの福音書】10:10盗人(ぬすびと)()るのは、(ぬす)んだり、(ころ)したり、(ほろ)ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、(ひつじ)(いのち)()させ、(ゆた)かに()させるためである。
ILL..
パリに住んでいたユダヤ人の医師、フェリックス・ルスは、ジフテリアで死んだ孫娘を見て、彼女の命を奪ったこの病の治療法を見つけることを誓いました。彼が、バクテリアに培養した細菌を20匹の馬の鼻孔と舌と喉に塗るのを見るように近隣の科学者たちを彼の牧場に招待したとき、細菌と戦うという考えは、ただの理論でしかありませんでした。馬は一匹、また一匹と死んでいき、最後の一匹だけになりました。科学者たちは皆、諦めて帰ってしまいました。しかしルス医師と彼の助手は残り、その助手は一晩中馬を見守っていました。馬の熱が下がり始めたとき、彼は医師を起こしました。医師は馬が細菌を撃墜し、次の日には何事もなかったように立って餌を食べるのを見たのです。それから、彼は馬を殺し、ジフテリアに打ち勝ったこの馬からその血を抜き取りました。そして市の病院に急ぎました。彼は強引に管理者と守衛たちの中を通り、ジフテリアで隔離された300人の赤ん坊がいる病棟に入っていきました。彼らは、赤ん坊全員に強制的に馬の血を接種させたのです。 三人を除いて全員が完全に回復しました。彼らは、打ち勝ったものの血によって救われたのです。

IV.
イエスの血には自由を得させる力がある。

A.
罪に縛られたくびきを砕くのは、イエスの血の力です。
B.
イエスは私たちを赦してくださるだけで、サタンの縛りの中に私たちをそのままに放っておかれるのではありません。私たちはキリストの血の力により、罪から自由になる経験をするのです。
【ガラテヤ人への手紙】5:1自由(じゆう)()させるために、キリストはわたしたちを解放(かいほう)して(くだ)さったのである。だから、(かた)()って、二()奴隷(どれい)のくびきにつながれてはならない。
C.
サタンがどのようにあなたの人生を包囲し、ダメにさせられそうであろうと:キリストの血はそれを打ち破り、あなたを解放することが出来るのです。
D.
それは、ただ自由を得させるだけではなく、打ち勝たせてくれるのです。
【コロサイ人への手紙】1:13(かみ)は、わたしたちをやみの(ちから)から(すく)()して、その(あい)する御子(みこ)支配下(しはいか)(うつ)して(くだ)さった。 1:14わたしたちは、この御子(みこ)によってあがない、すなわち、(つみ)のゆるしを()けているのである。
【黙示録】12:11兄弟(きょうだい)たちは、小羊(こひつじ)()(かれ)らのあかしの言葉(ことば)とによって、(かれ)にうち()ち、()(いた)るまでもそのいのちを()しまなかった。

DO YOU ACT LIKE YOU BELIEVE あなたは信じているように行動しているでしょうか?

INTRO:もし、クリスチャンであるが故に警察に逮捕されたとしたら、彼らはあなたを有罪とする十分な証拠を挙げることが出来るでしょうか?

1.   あなたは聖書を信じていますか?もし、そうであるなら、あなたはどのように振る舞うべきでしょうか?

a.   [Heb 4:12 NIV] 【へブル4:12口語訳】4:12というのは、(かみ)(ことば)()きていて、(ちから)があり、もろ()のつるぎよりも(するど)くて、精神(せいしん)霊魂(れいこん)と、関節(かんせつ)骨髄(こつづい)とを()(はな)すまでに()しとおして、(こころ)(おも)いと(こころざし)とを見分(みわ)けることができる。

b.   剣(つるぎ)とは何でしょうか?そして、人は剣(つるぎ)で何をするのでしょうか?

                                         i.    剣とは戦いの武器です。聖書は武器ですから、あなたはそれを注意深く扱わなければなりません。
[2Co 10:3-5 NIV]
【第二コリント10:3-5】 10:3わたしたちは、(にく)にあって(ある)いてはいるが、(にく)(したが)って(たたか)っているのではない。 10:4わたしたちの(たたか)いの武器(ぶき)は、(にく)のものではなく、(かみ)のためには要塞(ようさい)をも破壊(はかい)するほどの(ちから)あるものである。わたしたちはさまざまな議論(ぎろん)(やぶ)り、 10:5(かみ)知恵(ちえ)(さか)らって()てられたあらゆる障害物(しょうがいぶつ)()ちこわし、すべての(おも)いをとりこにしてキリストに服従(ふくじゅう)させ、

                                        ii.    3節には、私たちは肉に従って(世がしているように)戦っているのではない、と書いてあります。これは本当です。世(肉)が戦うとき、そこには憎しみ、欲望、貪欲があり、クリスチャンが戦うとき、そこには愛、恵み、自由があるからです。クリスチャンは神の愛を既に受けており、神に他の人々を愛するように言われています:
[Jhn 13:34-35 NIV]
【ヨハネ13:34-35】 13:34わたしは、(あたら)しいいましめをあなたがたに(あた)える、(たがい)(あい)()いなさい。わたしがあなたがたを(あい)したように、あなたがたも(たがい)(あい)()いなさい。 13:35(たがい)(あい)()うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子(でし)であることを、すべての(もの)(みと)めるであろう」。

2.   あなたは聖書を信じていますか? そうであるなら、あなたは聖書を学ぶべきです!聖書を所有しながらそれを学ばないのなら、まるで車を所有しながら運転の仕方を知らないようなものです。

a.   [2Ti 2:15 NIV] 【第二テモテ2:15】 2:15あなたは真理(しんり)言葉(ことば)(ただ)しく(おし)え、()じるところのない錬達(れんたつ)した(はたら)(びと)になって、(かみ)自分(じぶん)をささげるように(つと)めはげみなさい。

                                     i.    ここでは、聖書を学ぶべきということだけでなく、何故聖書を学ぶべきかが述べられています。真理の言葉を正しく教える(扱う)、とあります。剣を使ってパンを切ることは出来ますが、パンナイフの方がそれに適しています。しかし、神の言葉は、たとえ使い方を間違えても、人生を変えるほど力があるのです。中国に住むある人が、壁の穴を塞ぐために聖書のページを使っていました。そして、彼は、そのために聖書を読み始め、救われることになりました。これは良い話です。しかし、聖書を正しく使うことが一番良いのです。

3.   Do you believe the Bible? あなたは聖書を信じていますか?聖書は預言的な本で、将来に何が起こるかが記されています。

a.   もし聖書を信じるなら、聖書がこの先に起こると伝えている次の歴史的な出来事に対して、あなたは備えをするでしょう。

b.   新聞には、台風10号が関東に上陸すると書いてあります。これは既に予報されていますから、人々はその備えをするのです。人々は雨戸シャッターを閉め、車を車庫にいれます。

c.   聖書には、まもなく何が起こると書いてあるでしょうか?それは、教会の携挙です。

                                         i.    [Luk 21:7, 9, 28, 31 KJV]【ルカ21:7、9.28、31】21:7そこで(かれ)らはたずねた、「先生(せんせい)、では、いつそんなことが(おこ)るのでしょうか。またそんなことが(おこ)るような場合(ばあい)には、どんな前兆(ぜんちょう)がありますか」。
21:9戦争(せんそう)騒乱(そうらん)とのうわさを()くときにも、おじ(おそ)れるな。こうしたことはまず(おこ)らねばならないが、(おわ)りはすぐにはこない」
21:28これらの(こと)(おこ)りはじめたら、()(おこ)(あたま)をもたげなさい。あなたがたの(すくい)(ちか)づいているのだから」。
 21:31このようにあなたがたも、これらの(こと)(おこ)るのを()たなら、(かみ)(くに)(ちか)いのだとさとりな.

d.   干ばつに苦しんでいた農夫たちの話があります。彼らは教会に行って雨の為に祈ろうと決めました。その中の一人だけが傘を持って教会に出かけました。この行動は、彼が信じているということを示していたのです。

4.   何故、私は正装をするのでしょうか?何故なら、私は聖書を信じているからです!

a.   [Rev 19:7-9 NIV] 【黙示録19:7-9】19:7わたしたちは(よろこ)(たの)しみ、(かみ)をあがめまつろう。小羊(こひつじ)婚姻(こんいん)(とき)がきて、花嫁(はなよめ)はその用意(ようい)をしたからである。19:8彼女(かのじょ)は、(ひか)(かがや)く、(けが)れのない麻布(あさぬの)(ころも)()ることを(ゆる)された。この麻布(あさぬの)(ころも)は、聖徒(せいと)たちの(ただ)しい(おこな)いである」。19:9それから、御使(みつかい)はわたしに()った、「()きしるせ。小羊(こひつじ)(こん)(えん)(まね)かれた(もの)は、さいわいである」。またわたしに()った、「これらは、(かみ)真実(しんじつ)言葉(ことば)である」。 

 

b.   私は、イエス様の婚姻に参加したいのです!信仰によって、私はその用意をしなければなりません。[Mat 22:11-14 NIV] 11【マタイ22:11-14】 22:11(おう)(きゃく)(むか)えようとしてはいってきたが、そこに礼服(れいふく)をつけていないひとりの(ひと)()て、 22:12(かれ)()った、『(とも)よ、どうしてあなたは礼服(れいふく)をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、(かれ)(だま)っていた。 22:13そこで、(おう)はそばの(もの)たちに()った、『この(もの)手足(てあし)をしばって、(そと)(くら)やみにほうり()せ。そこで()(さけ)んだり、()がみをしたりするであろう』。 22:14(まね)かれる(もの)(おお)いが、(えら)ばれる(もの)(すく)ない」。

LET’S GO TO CHURCH! 教会に行きましょう!

Intro: 教会に来てくださってありがとうございます。あなたが来てくださって、私はとても嬉しいです!そして、ここで私はある質問を皆さんにしますが、「変なことを聞くなあ」と思う方がいるかもしれません。でも、私は皆さんにこれを聞く必要があるのです・・・あなたは何故、教会に来たのですか? 多くの人々は、様々の違う理由で教会に来ます。今日は、私たちが教会に来る理由の幾つかを見ていきたいと思います。

Text:【使徒行伝2:42そして一同(いちどう)はひたすら、使徒(しと)たちの(おしえ)(まも)り、信徒(しんと)(まじ)わりをなし、(とも)にパンをさき、(いのり)をしていた。】

1.    その理由1-神の言葉を聞いてそれを学ぶために教会に来ます。何故ですか?

a.    何故なら、神の言葉は絶対に間違いのないものだからです。【箴言30:5(かみ)言葉(ことば)はみな真実(しんじつ)である、(かみ)(かれ)()(たの)(もの)(たて)である。30:6その言葉(ことば)()(くわ)えてはならない、(かれ)があなたを()め、あなたを(いつわ)(もの)とされないためだ。】

b.    何故なら、神の言葉は完全だからです。聖書は、何か他の新しい章も、新しい聖句も必要ありません。それは既に完成しているのです。しかし、多くのカルト宗教は、聖書に自分たち自身の書や解説書を付け加えています。【黙示録22:18この(しょ)預言(よげん)言葉(ことば)()くすべての人々(ひとびと)(たい)して、わたしは警告(けいこく)する。もしこれに()(くわ)える(もの)があれば、(かみ)はその(ひと)に、この(しょ)()かれている災害(さいがい)(くわ)えられる。 22:19また、もしこの預言(よげん)(しょ)言葉(ことば)をとり(のぞ)(もの)があれば、(かみ)はその(ひと)()くべき(ふん)を、この(しょ)()かれているいのちの()(せい)なる(みやこ)から、とり(のぞ)かれる。】

c.     何故なら、神の言葉は、権威あるものだからです。【詩篇119:89(しゅ)よ、あなたのみ言葉(ことば)(てん)においてとこしえに(かた)(さだ)まり、】

ただ御言葉のみが神の権威の源です。ですから、もし誰かが何か預言が与えられたと言ったなら、私たちはそれが御言葉と一致しているかどうか聖書を使って調べます。

d.    何故なら、神の言葉は、私たちの全ての必要に対して十分なものであるからです。私たちにそれ以上のものは必要ではありません。【第二テモテ3:16聖書(せいしょ)は、すべて(かみ)(れい)(かん)()けて()かれたものであって、(ひと)(おし)え、(いまし)め、(ただ)しくし、()(みちび)くのに有益(ゆうえき)である。 3:17それによって、(かみ)(ひと)が、あらゆる()いわざに(たい)して十分(じゅうぶん)準備(じゅんび)ができて、完全(かんぜん)にととのえられた(もの)になるのである】

e.    何故なら、神の言葉は、自身が約束していることを成就するからです。もし神があなたにそれが起こる、と言われたなら、それは起こるのです。【イザヤ55:11このように、わが(くち)から()言葉(ことば)も、むなしくわたしに(かえ)らない。わたしの(よろこ)ぶところのことをなし、わたしが(めい)(おく)った(こと)(はた)。】

2.    その理由2-他の信者たちと交わるために教会に来ます。何故ですか?

a.    何故なら、交わりは良いものだからです! 【詩篇133:1()よ、兄弟(きょうだい)和合(わごう)して(とも)におるのはいかに(うるわ)しく(たの)しいことであろう。】

b.    何故なら、交わりは神さまが注意を払われるものだからです。【マラキ3:16そのとき、(しゅ)(おそ)れる(もの)(たがい)(かた)った。(しゅ)(みみ)(かたむ)けてこれを()かれた。そして(しゅ)(おそ)れる(もの)、およびその()(こころ)()めている(もの)のために、(しゅ)(まえ)に一つの(おぼ)(がき)がしるされた。 3:17万軍(ばんぐん)(しゅ)()われる、(かれ)らはわたしが()(くだ)して(こと)(おこな)()に、わたしの(もの)となり、わたしの(たから)となる。また(ひと)自分(じぶん)(つか)える()をあわれむように、わたしは(かれ)らをあわれむ。 3:18その(とき)あなたがたは、(ふたた)義人(ぎじん)悪人(あくにん)(かみ)(つか)える(もの)と、(つか)えない(もの)との区別(くべつ)()るようになる。】

c.    何故なら、交わりは私たちを良くするものだからです!【箴言27:17(てつ)(てつ)をとぐ、そのように(ひと)はその(とも)(かお)をとぐ。】

3.    その理由3-祈るために教会に来ます。何故ですか?

a.    祈りは、神と話すことだからです。【エレミヤ33:3わたしに()(もと)めよ、そうすれば、わたしはあなたに(こた)える。そしてあなたの()らない(おお)きな(かく)されている(こと)を、あなたに(しめ)。】

神は、私たちが神を呼び求めることを願っておられます。そうすれば神は私たちの祈りに応えることがお出来になるからです。

b.    祈りは、神の備えに対して感謝を言い表すことだからです。歴代志上16:34(しゅ)感謝(かんしゃ)せよ、(しゅ)(めぐ)みふかく、そのいつくしみはとこしえに()えることがない。】

c.    祈りは、私たちが自分の罪を告白しその罪を悔い改めるものだからです。【詩篇32:5わたしは自分(じぶん)(つみ)をあなたに()らせ、自分(じぶん)不義(ふぎ)(かく)さなかった。わたしは()った、「わたしのとがを(しゅ)告白(こくはく)しよう」と。その(とき)あなたはわたしの(おか)した(つみ)をゆるされた。〔セラ32:6このゆえに、すべて(かみ)(うやま)(もの)はあなたに(いの)る。大水(おおみず)()()せる(なや)みの(とき)にもその()(およ)ぶことはない

d.    祈りは、礼拝と従順の行為だからです。【第一テサロニケ5:16いつも(よろこ)んでいなさい。 5:17()えず(いの)りなさい。 5:18すべての(こと)について、感謝(かんしゃ)しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、(かみ)があなたがたに(もと)めておられることである。】

4.    その理由4-聖餐式を持つために教会に来ます!

a.    洗礼と聖餐式は、教会の二つの儀式です。【第一コリント11:25食事しょくじののち、さかずきをもおなじようにしてわれた、「このさかずきは、わたしのによるあたらしい契約けいやくである。むたびに、わたしの記念きねんとして、このようにおこないなさい」11:26だから、あなたがたは、このパンをしょくし、このさかずきむごとに、それによって、しゅがこられるときいたるまで、しゅらせるのである。】 

DO YOU LISTEN WELL?   よく耳を傾けて聞いていますか?

 

1. 地上の働きにあって、イエスさまは度々「 (みみ)のある(もの)()くがよい。」と叫び、その教えを締めくくられました。

a.   彼はバプテスマのヨハネについて(マタイ11:15)、種まきの譬について(マタイ13:9)、そして譬話の説明において(マタイ13:43)この言葉を言われました。

2.アジアの教会への幾つかの手紙の中で、イエスさまは同じような言葉でそれを締めくくっておられます:黙示録2:7、11、17、29;3:6、13、22(2:7)「(みみ)のある(もの)は、御霊(みたま)(しょ)教会(きょうかい)()うことを()くがよい。勝利(しょうり)()(もの)には、(かみ)のパラダイスにあるいのちの()()()べることをゆるそう』。」

3. 何故、イエスさまはこの言葉を言われたのでしょうか?

   a.これは、「ここで言われているのは大変に重要なことである。あなたは注意をしてこれを聞かなければならない!」ということです。
【マタイ4:23-25】4:23()(みみ)のある(もの)()くがよい」。 4:24また(かれ)らに()われた、「()くことがらに注意(ちゅうい)しなさい。あなたがたの(はか)るそのはかりで、自分(じぶん)にも(はか)(あた)えられ、その(うえ)になお()(くわ)えられるであろう。 4:25だれでも、()っている(ひと)(さら)(あた)えられ、()っていない(ひと)は、()っているものまでも()()げられるであろう」。

   b.これは、今日でも度々起こっている問題をイエスさまがお持ちだったことを示すものです。多くの人々は耳を傾けないのです。或いは聞いても理解しないのです。

4.ですから、ここで質問です。「あなたはどの程度、耳を傾けているでしょうか?」

I. 3種類の人々(聞く人々)

a.   (みみ)(にぶ)い人々
1. ある種のクリスチャンたちはこのような人々です―【へブル5:11】
5:11
このことについては、()いたいことがたくさんあるが、あなたがたの(みみ)(にぶ)なっているので、それを()()かすことはむずかしい。

2.イエスさまは、イザヤ書を引用して、その時代の多くの者たちにそれを当てはめられたのです。【マタイ13:13-14】13:13だから、(かれ)らには(たとえ)(かた)るのである。それは(かれ)らが、()ても()ず、()いても()かず、また(さと)らないからである。 13:14こうしてイザヤの()った預言(よげん)が、(かれ)らの(うえ)成就(じょうじゅ)したのである。『あなたがたは()くには()くが、(けっ)して(さと)らない。()るには()るが、(けっ)して(みと)めない。

         b.このような人には、次のようなことが成らなくなります。

            1) 神の真理を理解する。
            2)
罪から背を向け、神に帰る。
            3)
神によって癒される!

      -- 誰が、このように聞く人(鈍い人)になりたいと思うでしょうか?

 

B. 耳ざわりのよい話に耳を傾ける人々

      1. パウロは、第二テモテ4:3節と4節でこれを説明しています【第二テモテ4:3-4】4:3人々(ひとびと)健全(けんぜん)(おしえ)()えられなくなり、(みみ)ざわりのよい(はなし)をしてもらおうとして、自分(じぶん)勝手(かって)(この)みにまかせて教師(きょうし)たちを()(あつ)め、 4:4そして、真理(しんり)からは(みみ)をそむけて、(つく)(ばなし)(ほう)にそれていく(とき)()るであろう。 

      2. 悲しいことに、今日、多くの人々がこのような「耳の問題」にしばしば打ち負かされています! 彼らは、「あなたの生き方には問題はないし、変わる必要もない」ということを聞きたがるのです。

   C.正しい良い心を持つ人々

      1.イエスさまはこのような人々のことをルカ8章15節で語っておられます。【ルカ8:15】8:15()()()ちたのは、御言(みことば)()いたのち、これを(ただ)しい()(こころ)でしっかりと(まも)り、()(しの)んで()(むす)ぶに(いた)(ひと)たちのことである

2.べレヤの人々はこのような人々でした。【使徒行伝17:10-11】17:10 そこで、兄弟たちはただしに、パウロとシラスとを夜の間にべレヤへ送り出した。ふたりはべレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。17:11ここにいるユダヤ(じん)はテサロニケの(もの)たちよりも素直(すなお)であって、(こころ)から(おしえ)()けいれ、(はた)してそのとおりかどうかを()ろうとして、日々(ひび)聖書(せいしょ)調(しら)べていた

         a.私たちは皆、このような者であるべきなのです!このように耳を傾ける者でいるのが、なぜ、それほど重要なのでしょうか?

II. 良く耳を傾けることの大切さ

   A.祝福を受けるのに不可欠なもの

      1.適切に聞くことを願う者たちは、素晴らしいことを学ぶのです。【マタイ13:16-17】13:16しかし、あなたがたの()()ており、(みみ)()いているから、さいわいである。 13:17あなたがたによく()っておく。(おお)くの預言者(よげんしゃ)義人(ぎじん)は、あなたがたの()ていることを()ようと熱心(ねっしん)(ねが)ったが、()ることができず、またあなたがたの()いていることを()こうとしたが、()けなかったのである。

      2.もし私たちが注意して聞かないなら、これらの祝福を失うのです!

   B.救いの信仰に不可欠なもの

      1. 神は、私たちがキリストの信仰を通して救われると定めておられます。【ローマ1:16】 1:16わたしは福音(ふくいん)(はじ)としない。それは、ユダヤ(じん)をはじめ、ギリシヤ(じん)にも、すべて(しん)じる(もの)に、(すくい)()させる(かみ)(ちから)である。

      2.このような信仰は福音の宣言を通して実現します。それは聞くことに関係しています。【ローマ10:17】10:17したがって、信仰(しんこう)()くことによるのであり、()くことはキリストの言葉(ことば)から()るのである。

3. 信仰の欠如が起こるのは、ただ単に人々が良く耳を傾けないからです。あなたの聞き方は、あなたの信仰の成長を妨げているでしょうか?

   C.実を結ぶのに不可欠なもの

      1.  種まきの譬えの中で、実を結ぶことの出来る地(心)は、正しく聞くことが出来るものだけであるとあります。【ルカ8:15】8:15()()()ちたのは、御言(みことば)()いたのち、これを(ただ)しい()(こころ)でしっかりと(まも)り、()(しの)んで()(むす)(いた)(ひと)たちのことである。

2.何故なら、神の恵みを理解すること(知ること)で実を結ぶからです!【コロサイ人への手紙1:6】1:6そして、この福音(ふくいん)は、世界中(せかいじゅう)いたる(ところ)でそうであるように、あなたがたのところでも、これを()いて(かみ)(めぐ)みを()ったとき以来(いらい)ただs、()(むす)んで成長(せいちょう)しているのである。

3.良く聞くことによってのみ、神の恵みを理解することが出来るのです。そして、その結果、神の栄光にある実を結ぶようになるのです。

   D.背信を防ぐ大切さ

      1. 救いを軽んずることで、流されてしまう現実の危険があります。【へブル2:1】2:1こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることをいっそう強く心に留めなければならない。そうでないと、おし流されてしまう。

      2. 良く耳を傾けないことは、背教への最初の一歩になることが多いのです!良く理解してもらうために話し手は話すことを学ぶ必要があるように、人々は良く理解するために聞くことを学ぶ必要があります!

III.良く聞くためのステップ

A.  礼拝の行為として聞く

      1. 読まれる御言葉や語られる御言葉をどのように聞くかは、あなたの神への献身を表しています。それはあなたがどのように祈るか、どのように歌うかにも表れます。

   B.聖書を読み下す。

   C..信仰によって聞く

      1.【へブル4:2】4:2というのは、(かれ)らと(おな)じく、わたしたちにも福音(ふくいん)(つた)えられているのである。しかし、その()いた御言(みことば)は、(かれ)らには無益(むえき)であった。それが、()いた(もの)たちに、信仰(しんこう)によって(むす)びつけられなかったからである。

   F.聞いて行う

      1.私たちは、エゼキエルの時代の人々のようでしょうか?【エゼキエル33:30-32】33:30(ひと)()よ、あなたの(たみ)人々(ひとびと)は、かきのかたわら、(いえ)入口(いりぐち)で、あなたの(こと)(ろん)じ、たがいに(かた)りあって()う、『さあ、われわれは、どんな言葉(ことば)(しゅ)から()るかを()こう』と。 33:31(かれ)らは(たみ)()るようにあなたの(ところ)()、わたしの(たみ)のようにあなたの(まえ)()して、あなたの言葉(ことば)()く。しかし(かれ)らはそれを(おこな)わない。彼等(かれら)口先(くちさき)では(おお)くの(あい)(あらわ)すが、その(こころ)()におもむいている。 33:32()よ、あなたは(かれ)らには、(うつく)しい(こえ)(あい)(うた)をうたう(もの)のように、また楽器(がっき)をよく(そう)する(もの)のように(おも)われる。(かれ)らはあなたの言葉(ことば)()くが、それを(おこな)おうとはしない。 

         a.彼らは喜んで聞きましたが、それは正しい理由からではありませんでした。

         b.あなたは、語り手がうまく語るからという理由で、説教を聞きたいと思っているのでしょうか?

      2.聞くことは、行いを伴うのです。【ヤコブ1:22】1:22そして、御言(みことば)(おこな)(ひと)になりなさい。おのれを(あざむ)いて、ただ()くだけの(もの)となってはいけない

CONCLUSION: 今、その憐みは神の子イエスキリストを通して差し出されています。神はこう言われます:【ルカ9:35】9:35すると(くも)(なか)から(こえ)があった、「これはわたしの()、わたしの(えら)んだ(もの)である。これに()け」。

 

The Transfiguration of Jesus:  Pay attention! イエスの変容:注意を払ってください!

Text: マタイ17:1-13

 1884年、ジョン・ヘンリー・パターソンはナショナル・キャッシュ・レジスター会社(NCR)を創り、世にその名を知らしめ利益を上げました。彼はこの会社を成功させたのです。何故なら、彼は細部に注意を怠らず、会社の一つ一つの部門に常に注意を払っていたからです。
ある時、工場が多くの夜盗の被害を受けていることが明らかになったことがありました。パターソンは、警備員が本来の仕事をしていないと確信しました。そこで、ある夜、彼は燐光で光る服を着て真っ白な馬に乗り、工場に出かけたのです。そして工具室へのドアをこじ開け、何の問題もなく幾つかの予備備品を取り、家に戻りました。次の日の朝、彼は警備員を首にしました。 何故、パターソンは警備員たちをすげ替えたのでしょうか?彼らは自分の仕事をしなかったからです。彼らは注意を払わなかったからです。

1.       キリストは教会をご自身の御国と同一と見なし、弟子たちに「人の子が御国の力をもって来るのを見るまで死なない者が立っている者の中にいることを保証されました。【マタイ16:18-19、28】  16:18そこで、わたしもあなたに()う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの(いわ)(うえ)にわたしの教会(きょうかい)()てよう。黄泉(よみ)(ちから)もそれに()()つことはない。 16:19わたしは、あなたに天国(てんごく)のかぎを(さづ)けよう。そして、あなたが地上(ちじょう)でつなぐことは、(てん)でもつながれ、あなたが地上(ちじょう)()くことは(てん)でも()かれるであろう」。
 16:28
よく()いておくがよい、(ひと)()御国(みくに)(ちから)をもって()るのを()るまでは、()(あじ)わわない(もの)が、ここに()っている(もの)(なか)にいる」。

2.   その一方で、主は弟子たちをエルサレムで起きるであろう空前の出来事に備えさせておられました。【マタイ16:21】16:21この(とき)から、イエス・キリストは、自分(じぶん)(かなら)ずエルサレムに()き、長老(ちょうろう)祭司長(さいしちょう)律法(りっぽう)学者(がくしゃ)たちから(おお)くの(くる)しみを()け、(ころ)され、そして三()()によみがえるべきことを、弟子(でし)たちに(しめ)しはじめられた。 

I. 神の本質の現れと確証。マタイ17:1-2

  A. イエスは神の栄光の片鱗を彼らに示されました。マタイ17:2

    1. 変容:御姿の変化

      a. 御顔【マタイ17:2】 17:2ところが、(かれ)らの()(まえ)でイエスの姿(すがた)(かわ)り、その(かお)()のように(かがや)その(ころも)(ひかり)のように(しろ)くなった 

      b. 御衣【マタイ17:2】17:2. その(ころも)(ひかり)のように(しろ)くなった 

    2.  イエスは神の栄光の輝き、光なのです。【へブル1:3】1:3御子(みこ)(かみ)栄光(えいこう)(かがや)きであり、(かみ)本質(ほんしつ)(しん)姿(すがた)であって、その(ちから)ある言葉(ことば)をもって万物(ばんぶつ)(たも)っておられる。そして(つみ)のきよめのわざをなし()えてから、いと(たか)(ところ)にいます大能者(たいのうしゃ)(みぎ)に、()につかれたのである。 

II.モーセとエリヤが現われ、イエスと語り合った。マタイ17:3

A.    彼らは主の死について語り合っていました。【ルカ9:31】 9:31栄光(えいこう)(なか)(あらわ)れて、イエスがエルサレムで()げようとする最後(さいご)のことについて(はな)していたのである。

B.    ある種の人々やカルト宗教は、イエスの死は手違いだったのだと説明しようとします。しかし、この箇所は、それが偶然の出来事ではなかったことを示しています。

III. イエスの権威は天の父によって承認された。マタイ17:4-9

  A. ペテロの提案 【マタイ17:4】17:4ペテロはイエスにむかって()った、「(しゅ)よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋(こや)を三つ()てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。 

1.   このペテロの提案は、うかつにも次の二つのことを引き起こします:それは十字架を回避してしまいます「ここにいましょう」、そして、モーセとエリヤをキリストと同等にしてしまいます「3つの小屋」

2.   ペテロと同じように、私たちはしばしば神のやり方ではなく自分のやり方で物事を進めようとします。

ある少年が母親と薬屋に行きました。カウンターにはキャンデイの壺が置かれていて、店の主人は少年がそれに目を留めているのに気がつきました。母親が清算をしているとき、主人は少年に聞きました「少しキャンデイが欲しいかい?」少年がうなずいたので、彼は「じゃあ幾つか取っていいよ」と言いました。少年はそこに立ったままだったので、店の主人はもう一度「手にひとつかみあげるよ」と言ったのです。少年がそれでもまだ立ったままなので、主人は壺に手を伸ばし、キャンデイをつかみ取り彼に渡しました。少年のポケットはキャンデイでいっぱいになったのです。外に出てから母親は言いました。「あの男の人がひとつかみ取ってもいいと言ったのに、なんでそうしなかったの?」少年は言いました。「だって、あの人の手はもっと大きいし、神さまの計画はもっと大きいもの」
人生の中における私たちの選択:私たちは、自分の人生の中に神の計画を望んでいるでしょうか?それとも、自分の計画のほうを望んでいるでしょうか? もし私が選ぶのであれば、むしろ神さまの計画を選びます。神の手のほうが大きいからです!

  B.   モーセエリヤ離れようとしていますが、イエスはお残りになりました。イエスは彼らより偉大な方でした。イエスは神の御子だったからです。【ルカ9:33】 9:33このふたりがイエスを(はな)()ろうとしたとき、ペテロは自分(じぶん)(なに)()っているのかわからないで、イエスに()った、「先生(せんせい)、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋(こや)を三つ()てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。

    1.   モーセ=律法であり、エリヤ=預言者です。しかしイエスは律法と預言を成就するために来られたのです。【マタイ5:17】5:17わたしが律法(りっぽう)預言者(よげんしゃ)(はい)するためにきた、と(おも)ってはならない。(はい)するためではなく、成就(じょうじゅ)するためにきたのである。

  C. 御子への神の承認 【マタイ17:5】17:5(かれ)がまだ(はな)()えないうちに、たちまち、(かがや)(くも)(かれ)らをおおい、そして(くも)(なか)から(こえ)がした、「これはわたしの(あい)する()、わたしの(こころ)にかなう(もの)である。これに()け」。
【第二ペテロ1:17-18】1:17イエスは(ちち)なる(かみ)からほまれと栄光(えいこう)とをお()けになったが、その(とき)、おごそかな栄光(えいこう)(なか)から(つぎ)のようなみ(こえ)がかかったのである、「これはわたしの(あい)する()、わたしの(こころ)にかなう(もの)である」。 1:18わたしたちもイエスと(とも)(せい)なる(やま)にいて、(てん)から()たこの(こえ)()いたのである。 

Conclusion

1.    イエスキリストの力と来臨は「巧みに作られた寓話」ではありません。 それは、主の威光と栄光を見た目撃者たちによって証明されてきたのです。【第二ペテロ1:16】1:16わたしたちの(しゅ)イエス・キリストの(ちから)来臨(らいりん)とを、あなたがたに()らせた(とき)、わたしたちは、(たく)みな(つく)(ばなし)(もち)いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光(いこう)目撃者(もくげきしゃ)なのだからである。

2.    神は語られました。神は「聞きなさい」と言われたのです。私たちは聞いているでしょうか

We had a great time on Sunday afternoon (11/22/2015) celebrating Thanksgiving! We had Turkey and Sri Lankan curry, pies (apple and pumpkin), Jello and onigiri, milk pan (bread that tastes like angel food cake). Dennis Peters was with us for service and dinner! Many thanks to all who helped make this a very special Thanksgiving.
We finished September's study on praise and worship. We will be studying the "END TIMES" every Friday night @ 7:00 p.m. in October unless the "Rapture" happens in which case we won't be here. Please join us!
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先週、私たちは月岡での初めてのアウトリーチを行いました。9月は、この夏に起きたすべての働きと、これからの神の導きのための祈りを強める月になります。また、先週の日曜礼拝説教は、キリストの埋葬のための油注ぎについてでした(ヨハネ12章)。この説教のポイントと論点は:この時、マリアは何故ナルドの香油をすでに持っていたのか?キリストがこの出来事について説明される前に、彼女はその目的を理解していたのだろうか?ということです。この説教を通して私たちが学んだのは、神は私たち一人一人に対して目的をお持ちであるということ、神の計画には常に完全な場所、完全なタイミング、そして完全な備えがあるということです。

Just a quick note about a couple of things:                                                                   September 2nd, 2015

The true date on this blog should read September 2nd, 2015.Now I have succeded in getting rid of the old date but lost the previous blog....arrgh.... I haven't figured out how to add a new blog so I added to the old one which now doesn't exist.

 

 I believe that all the links now work!

 

We had our first ever outreach to Tsukioka last week. September will emphasize prayer for all the work that has happened during the summer and for God's leading going forward. Last week's sermon dealt with the annointing of Christ for burial. The main points and questions asked were: Why did Mary have the Nard? Did she understand it's purpose before Christ's explanation? What we learned was that God has a plan for each of us and his plans always have a perfect place, a perfect timing, and perfect provision.